2012年5月31日木曜日

ドイツの社会問題


ジレンマ。 (05.11.2009)

ドイツに住むある知人から、「日本政府はこれまでの移民体制を見直すため、ドイツに研究者を派遣している。」と聞いて、少なからず不安になった。明治維新の際、民主主義を取り入れている米国のシステムを嫌って、日本統治に都合のいいドイツ(プロイセン)のシステムを導入すべく、研究者を派遣したのは、ご存知の通り。しかし今日の視点で歴史を見れば、これがその後の「破綻の始まり」であった。権威に対して批判を一切許さないそのシステムは、国民から批判能力を奪い、「右向け右!」で破滅まで突っ走る事を可能にした。「本国」ドイツでは、明治憲法が日本で導入されてから30年も経たないで、最初に破滅を迎えたが、日本ではこのシステムは生存を続け、本家ドイツよりも30年近くも長生きしたが、結果は同じ� ��うに破滅だった。今思えば、時代遅れのドイツのシステムを導入しないで、米国の民主主義を形だけでも導入していたら、その後の歴史の流れは変わっていたかもしれない。

ドイツ人は第二次大戦中の外国人(ユダヤ人、ジプシー、ロシア人、ポーランド人)の大量殺害で、「外国人とはうまくやっていく才能がない。」事がわかっていい筈だった。ところがこの外国人殺害を、「悪いのはドイツ人じゃない。ナチスだ。」と、(都合の悪い事はすべいて)ナチスの責任にした為に、自身の度量を過大評価してしまった。この為、60年代の経済復興で労働者が足らなくなると、「外国人労働者を使おう。」と安易な決断をした。又、第二次大戦中の「失敗」もあり、外国で虐待されている人がいれば、これを積極的に受け入れて、かって の汚名挽回に勤めた。その努力は認めるが、やりすぎた。見境なく外国人を受け入れてしまった為、80年代に入ってやっと規制を始めたが、ドイツに住んでいる外国人(旅行者、帰化した者などは含まない)は、ちゃんと登録されている数だけで7百万人近くに昇ってしまった。これは大雑把に言えば、10人ドイツ人が集まれば、1人は外国人となる。これでは実感がわかないので身近な例を挙げると、埼玉県の人口はちょうど7百万なので、ドイツに住む外国人を全部集めれば、埼玉県人が全部、外国人という事になるから、どのくらい外国人が多いかよくわかると思う。さらにドイツの人口は日本よりも30%以上少ない事を考えれば、外国人の比率は日本とは比較にならないほど高い。

2012年5月18日金曜日

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/ 昭和天皇の戦時下「肉声」記した日記 この中で昭和天皇は、「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」と語っています。一方で日記には「支那事変はやり度(た)くなかった。それはソヴィエトが怖いからである」、「自分の得て居る情報では、始めれば支那は容易のことでは行かぬ」と述べられたと記録されています。また、皇太子時代について「自分の花は欧洲訪問の時だったと思う」と懐かしく話される記述や、息子である天皇陛下や常陸宮さまを手元で育てたかったという親心が垣間見える記述も見られます。
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Z/ 当時コーチだった高橋利男教諭が「介在したのは私です」。生徒が3年生(03年)の時の10月から12月ごろにかけて、大学卒業後に西武に入団したい。西武も分かりました、とりましょうということで双方の合意書のようなものに、自分も名前を書いた記憶があると言っている。金に手を染めたりしたのかと聞いたが、お金の授受はびた一文ないと答えた。ただ、学生野球憲章に違反することは知っていた。絶対発覚することはないと確信を持ってやった、と。
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西武裏金、東京ガスが公式戦の出場辞退…投手を処分へ : プロ野球 : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) /
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[目が覚めていなかったか 球界裏金問題] / 社説 / 西日本新聞 /
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NIKKEI NET:スポーツ / ドラフト上位指名はく奪も 根来代行が西武に再調査
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スポニチ Sponichi Annex ニュース 野球 / NPB 希望入団枠撤廃論が加速も
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スポニチ Sponichi Annex ニュース 野球 / "西武裏金"木村の高校時代から開始
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中日スポーツホームページへようこそ / 西武はプロから去れ 裏金問題で早大監督ブチ切れ
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SANSPO.COM > 野球 / 早大・応武監督が西武を痛烈批判!「球団を持つ資格ない」
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早大生父、金銭授受認める…「学費の援助」「ちゃんと返す」:アマ野球:野球:スポーツ報知 / 早稲田大野球部員(清水勝仁)の父親は10日、神戸市の自宅で「奨学金のようなもの。西武側から学費の援助をしましょうと言ってきた。入団したら契約金から返す約束だった」と金銭の受け取りを認めた。また「悪いことをした認識はない。息子は全く事情を知らず、こんなことになってかわいそうだ。西武に対して腹が立つ。受け取った金はちゃんと返す」と話した。
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中国新聞ニュース / 大学球界に水差す不祥事 衝撃走る古豪・早大
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中国新聞ニュース / 早大、調査委員会設置へ 父親が金銭受領認める
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西武に「処分」不可避 ドラフト改革も加速へ|野球|スポーツ|Sankei WEB /
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[早大、調査委員会設置へ 応武監督「寝耳に水」] / プロ野球 / スポーツ速報 / 西日本スポーツ /
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NIKKEI NET:スポーツ / ドラフト制度に影響大 裏金事件で紛糾必至
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「悪いことは分かっていた」=木村投手、金銭授受認め謝罪-西武裏金問題 /
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(タイトル無し) / 【関連】『家計助けたかった』 東京ガス木村投手 声振り絞り胸中語る
  タグ 社会 スポーツ 野球 ドラフト 裏金 栄養費 西部 西部ライオンズ 東京ガス 木村雄太 by (名前無し) on 2007-03-15 16:58:04 [URL]
駐車違反の摘発妨害、テレ朝社員を逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) / テレビ朝日報道局の現役社員が、駐車違反を摘発されたことに腹を立て、民間の駐車監視員の取り締まり活動を妨害したとして、警視庁麻布署に公務執行妨害の現行犯で逮捕されていたことがわかった。逮捕されたのは、同社報道局映像センターの清野信彦容疑者(47)(東京都港区)。調べによると、清野容疑者は今月11日午前11時25分ごろ、港区麻布十番の路上に違法駐車をしていた自分の乗用車に、駐車違反の摘発ステッカーが張られているのを発見。数メートル先で別の放置車両の取り締まりをしていた駐車監視員の男性(48)に駆け寄って執拗(
  タグ 社会 事件 マスコミ テレビ朝日 by (名前無し) on 2007-03-15 16:45:51 [URL]
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <TBS>格闘技ファンのコメント、実はディレクター作成 / グループ企業の不祥事に、毎日新聞。Yahoo!ニュースには掲載するも、しかしwww.mainichi-msn.co.jpには掲載せず。情報隠蔽。
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 毎日新聞 隠蔽 by (名前無し) on 2007-03-15 16:16:43 [URL]
TBS、「2ちゃんねる」似の架空掲示板放送 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞) /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:13:06 [URL]
TBS架空ネット掲示板…12日放送「HERO'S開幕戦」:芸能:スポーツ報知 /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:12:48 [URL]
スポニチ Sponichi Annex ニュース 社会 /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:12:22 [URL]
【マスコミ】 TBS、"2ちゃんねるっぽい掲示板"の「捏造」認める…「今後はイメージ映像とちゃんと表示」と釈明(?)★15 /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:11:35 [URL]
【マスコミ】 TBS、"2ちゃんねるっぽい掲示板"の「捏造」認める…「今後はイメージ映像とちゃんと表示」と釈明(?)★14 /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:11:21 [URL]
TBSがネット掲示板"捏造" 「誤解招く表現だった」|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:10:31 [URL]
TBS、「格闘技」番組中で架空のネット掲示板紹介 : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) /
  タグ 社会 マスコミ 捏造 tbs 格闘技 hero's 2ch 2ちゃんねる 掲示板 by (名前無し) on 2007-03-15 16:10:17 [URL]
asahi.

2012年5月16日水曜日

米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁 (地方紙記者が追跡6年) - 脱原発・放射能



1994年2月1日(朝日新聞)


米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁
地方紙記者が追跡6年

がん患者へのプルトニウム注射、治療費の払えない患者への大量の放射線照射──放射能人体実験という核兵器開発の最暗部が一連の新聞報道で明るみに出て米国を大きく揺さぶっている。実験は、ソ連と激しい核開発競争をしていた1940年代から70年代初めにかけて米政府が極秘に実施、その後も最高機密とされてきた。しかし、真相究明を求める世論が高まり、エネルギー省は、人体実験を含むかなりの核関係機密書類を今年6月に公開する方針を固めた。(ワシントン=大塚隆)


秘密を暴く口火を切ったのは、ニューメキシコ州のアルバカーキー・トリビューンという地方紙だ。女性記者のアイリーン・ウエルサムさんは、原爆開発のマンハッタン計画の一環として、原爆の原料となるプルトニウムの毒性や体への吸収率を調べるための人体実験が、45−47年に行われていたことを87年に知った。被験者は18人。記録にはコード番号しか記されていなかったが、6年がかりで5人を突き止め、昨年11月に報じた。


●遺灰まで研究材料

「CAL1」と記されたアルバート・スティーブンスさん(当時58)の場合はこうだった。サンフランシスコの病院で「胃がんで余命半年」と診断され、広島、長崎への原爆投下直前の45年5月、本人に無断で、大量のプルトニウムを注入された。4日後、胃の3分の2と肝臓を切除する大手術を受け、患部は研究材料として持ち去られた。
しかし、スティーブンスさんは66年1月まで生き、79歳で亡くなった。遺体は火葬されたが、75年、その遺灰は残存放射能を調べるためシカゴにあるアルゴンヌ国立研究所に送られた。
核戦争勃発(ぼっぱつ)を想定した実験も明らかになった。ロサンゼルス・タイムズは、50年代から72年ごろまで、被ばく兵士の継戦能力を調べる目的で、シンシナティ大の研究者が治療費を払えないがん患者80人余に大量の放射線を浴びせる実験を行ったと報じた。
当時、25レム以上の照射は骨髄に危険と考えられたが、一部の患者にはこの10倍も照射された。
米国防総省への実験報告にはこう記されているという。「実験で8人の死期が早まった可能性がある」「200レムまでの被ばく線量であれば継戦能力はかなり維持できる」


●児童の食物に混入

50年代初め、軽い知的障害があった児童に、マサチューセッツ工科大の研究者が放射性物質入りの食べ物を「ビタミン入りの栄養食」などと言って食べさせた実験も暴露された。
反響は大きかった。エネルギー省が昨年暮れ設置した人体実験ホットラインヘの電話は1カ月で1万5000件を超えた。手紙も1000通以上にのぼる。手紙の分析では、3分の1は自分や家族が知らないうちに被験者にされていたのではないか、さらに3分の1は核工場や核実験場の近くにいたために被ばくしたという訴えだった。残り3分の1は真相究明への支持や励ましが大部分だったという。
議会も動き始めた。1月25日には上院政府活動委員会が、初の公聴会を開いた。米エネルギー省のオリアリー長官は民間出身で、核機密の情報公開に取り組んでいる。その長官が証言に立った。「あえてパンドラの箱を開いたのは、実験の詳細をはっきりさせ、秘密主義という悪癖から抜けだすことでしか、実験への疑念をはらせないからだ」。会場から大きな拍手が起き、委員からも絶賛を浴びた。


●肩身狭い核科学者

最近は、核兵器工場の相次ぐ放射能漏れ事故などでエネルギー省や関係者の評判はがた落ちだった。そんなところへ人体実験が暴露され、核兵器開発の先頭に立ち、冷戦時代を支えてきた栄光の核科学者たちは、一転、窮地に立たされている。
1月半ば、サンフランシスコで開かれたエネルギー省主催の核問題についての公聴会に、「水爆の父」とよばれるエドワード・テラー博士(86)が出席した。
レーガン元米大統領が現職当時、宇宙防衛計画を進言するなど政権に強い影響力を持ち続けた同博士は、公聴会を「ヒステリックでバランスを欠く」といい、「一連の人体実験報道も誇張が多い」と批判したが、会場からは逆に「大うそつき」とやじられた。オリアリー長官が反対派からも大きな拍手で迎えられたのとは対照的だった。
同省が機密解除を検討中の文書には広島・長崎への原爆に関する報告書も含まれている。
半世紀近い歳月を経て、核大国の暗部が白日の下にさらされる。
 
 

1994年2月11日(朝日新聞)


米の秘密人体実験 冷戦次代の暗黒部分にメス

米国は冷戦時代の1940年代から50年代にかけて放射性物質を使ってさまざまな秘密人体実験を行ってきた。人体実験と言えば、旧ソ連が50年代にウラル地方で実際に核兵器を爆発させ、放射能が兵士の人体にどのような影響を与えたか調査した例が有名だが、米国の場合は多数の一般市民もそれと知らされずに、実験の対象にしている。クリントン政権は現在、この歴史の暗黒部分に光を当てる作業を進めており、これに伴って全米各地で秘密実験の被害者たちが政府に補償を求める動きが表面化している。(アメリカ総局・関口宏)


▼6機関が調査

クリントン政権は昨年12月、冷戦時代に行われた人体実験について、エネルギー省が中心になって総合調査することを正式に決定した。調査にはエネルギー省のほか、国防総省、復員軍人省、中央情報局(CIA)など6つの政府機関が参加している。結果は6カ月以内に大統領に報告される。
政府の調査計画が発表されて以来、人体実験の対象にされた人たちが各地で名乗りを上げている。議会での公聴会も行われ、これまで秘密にされてきた人体実験の一端が明らかにされつつある。


▼知らされず…

2012年5月15日火曜日

12月最初の会議が始まる前に - モンモのコラムワールド - Yahoo!ブログ


書き留めよ。

議論したことは、

風の中に吹き飛ばしてはならない。
(ガリレオ)

 

モーリス・ユトリロ 『サン=リュスティック通り、モンマルトル』 1948年頃

 

12月になると、いつもあっと言う間に時間が過ぎてしまいます。
12月1日に、こんなちょっとした「人畜無害」の話がありました。
読みようによっては、なんのことやらわけがわからないエピソードですが、もしわからなかったらお許しを。

 

2012年5月13日日曜日

FOR ONCE IN MY LIFE


オーストラリア卒業旅行第二弾(第一弾はハミルトン島へ
私がまだ行ったことのないダーウィンへ!
これでオーストラリアの州都すべてに行ったことになる~♪
と、それだけでルンルンな私。

今回は、JTBが日本語ツアーを企画されてて、
それに便乗しました。

金曜日の夜便でダーウィンへ。
カンタスで行きましたが、国内線にしては大きな飛行機だったのに、
満席でした。
軽い夕食が出るも、
ダーウィンとシドニーは3500キロほどあるので、
5時間近い飛行時間となり、
本を読んだりボーっとしたり、
まるで外国へ行くかのような気持ちでした。
(お隣のニュージーランドに行くより遠い!)

ダーウィンは、夜9時以降に発着する便が多いらしく、
空港についてもたくさん人がいたし、
町中も、
金曜の夜ということも手伝ってか、にぎやかでした。

ダーウィンでは、1日フリータイムだったので、
町中にあるcrocodsaurus coveへ行きました。

あまり期待していませんでしたが、
結構楽しかったです。
おかげで、ワニのファンになりました。

その日はそれで終わり。。。
前日のナイトフライトがききました。
夕食も、面倒になって、ホテルのレストランへ行きました。

翌日はいよいよツアー!
2泊3日で
カカドゥ国立公園 キャサリン渓谷

キャサリン渓谷もよかったけれども、
どちらかと言うと、カカドゥの方がよかったかな。

今は乾季だったので、
空もほとんど雲がなく、
青空が広がり、太陽がさんさんと降り注ぎました。
ガイドさんによると、
雨季の頃はもっと木々が青々としているけれども、
一面が湿地帯に変わってしまい、
2メートル以上水位が上がるところもあちこちだそう。
道端に水位を計測するポールが立っているのも見かけました。

NTには、
多くのアボリジニ(原住民)が住んでいます。
また、鉱山物も多く眠っているので、
それに携わる一時的労働者、
観光業に携わる人
が人口のほとんどを占めているようです。

でも、旅行中、
アジア人にはほとんど会いませんでした。
日本人なんて、一人も会いませんでした。
旅行者の多くがオージー(スクールホリデー中のため?)でした。

そういうこともあって、
シドニーと同じ国内とは思えない雰囲気がありました。

NT州には、
暑すぎるからか、コアラはいないようですが、
カンガルーやワラルー、ワラビー、バッファローなどに加え、
野生のワニを見ることもできました!

車窓の外は、
まっ平らな平原が広がり、
見渡しは最高!
されども、
ずっと見続けると飽きる…かもしれません。
が、今度は雨季にも一度訪れてみたいなと思いました。
住むにはちょっと退屈かもしませんけど…。

今回のツアーでの私たちのお気に入りは、
イエローウォータークルーズです。
湿原の中をボートでクルーズします。
いろいろな鳥がやってきました。
また、野生のワニも見ることができました。
絵のような風景の中、
ゆったりとボートに乗った1時間。。。
まるで時間が止まったかのような感じでした。

***

ダーウィン発着のツアーの日本語ツアーは、
私たちがお世話になったガイドさん一人(かおりさん)だけなのだそうです。
でも、よく気がつく人で、
いろいろと教えていただいたり、
おかげでとても楽しい旅になりました。

JTBさんは、年に2~3回、日本語ツアーを企画しています。
私たちは、去年の末にニュージーランドに行きましたが、
日本語ならではの気配りが行きとどいていて、
どちらも満足でした。
個人で手配するのと同じか、もしくは少し安く費用が抑えられるし、
何といっても、
日本語での案内はありがたいです。
シドニーにお住まいの方、ぜひお勧めです!

写真は、
上:イエローウォーター(カカドゥ)
中:キャサリン渓谷
下:ジャンピングクロコダイル(ごはんを狙ってジャンプするワニ。NT州北部の名物)


日本では、
旅行らしい旅行をしていませんでした。
年に1回海外行くのが唯一の旅行、
なわりには、
趣味は旅行(+そのほか)って言っていた私・・・。

オーストラリアに来てから、
今回が最後の来豪かもしれないと思って、
ロングウィークエンドになるたびに、どこかに行きました。

今回は、ロングウィークエンドと卒業旅行を兼ねて
かの有名な
ハミルトン島へ♪

日本の旅行会社のウェブサイトを見ていると、
ハミルトン=カップルの行き先、
みたいな印象を受けるのですが、
実際行ったら、
カップルで来ているのはほとんど日本人で、
あとはオージーとイギリス人のファミリーがほとんどでした。

アジア人は日本人くらいかな~。
オーストラリアに来て、初めて中国や韓国の人にほとんど会いませんでした。

ホテルでは、日本人用専用デスクがあったり、
日本人用パンフレットが用意されていたり、
インターナショナルチャンネルにはNHKが選択されていたりと
日本人にとってはすごしやすい環境が整っていたのですが、
以外にツアーは、
日本人専用ツアーとかなくて、
レストランやショップも、
日本語のわかる店員さんがどこにもいませんでした。

でも、かえってそういうところが、
非日常の雰囲気を出すのにはいいのかもしれません。
(ハネムーナーがほとんどだったので)

私たちは、
シドニーを土曜日に経ち、2時間半ほどでハミルトンへ到着。
その日は風が強いものの、いいお天気でした。
名物バギーでお出かけ。

2日目は、
ツアーに参加してGreat Barrier Reefへ。
朝起きたら風が強くていやな予感がしたのですが、
予想通り、行きも帰りも波が高くて船はめちゃ揺れました。
何人かダウンしている人がいましたが、
シドニー湾の5分間のフェリーで酔ってしまう私が、
若干の吐き気があったくらいで収まったのが不思議なくらいです。

Great Barrier Reefは世界で一番大きな珊瑚礁が集まる海です。
私がスキューバダイビングのライセンスを取ったものここでした。

今回は、そのど真ん中にあるReef Worldというところまで行って、
4時間くらい過ごすというもの。

荒れた波を果敢に進み、
2時間の船旅を終えてReef Worldへ。
ここでは、
海中デッキからお魚さんを眺めたり、
シュノーケルでお魚さんと泳いだり、
ダイビングをしたり、
ということが楽しめます。

私もシュノーケルを楽しみにしていたのですが、
にゃんと、海水が冷たくて、
とてもじゃないけど、長時間入っていられませんでした。
ここは、
珊瑚礁が海面近くまで上がってきていて、
名前の通り、
珊瑚礁を目の前で見られる場所。
酔い覚ましもあったし、
お魚さんも近くで泳いでいたので、
もう少し入っていたかったのですが、
風で波が荒いのと
海水が冷たいのとで、
15分くらいで諦めました。
旦那にとっては初のシュノーケリングゥ~♪
でしたが、ちょっと残念な結果に終わってしまいました。

その後は船内に戻ってランチ。

海の上でランチってすごいなぁって感動しました。

帰りはもっと波が荒くて大変でしたが(波3メートル)、
珊瑚礁というか、海の不思議に魅了され、
海洋学者になるのを一瞬夢見たのでした・・・。

3日目は、
Whitehaven Beachという、
世界一(?)白い砂浜といわれる島へ半日ツアー。
距離は短いけど、
この日も風が強く揺れました。

本来なら、
ビーチでのんびり日光浴やシュノーケリングを楽しむツアーですが、
日差しがあまり出ていないうえに
風もあって、
足浴したくらいですぐに浜辺に引き上げてしまいました。
それでも、透き通る海水と、白い砂浜のマッチングは、
一見の価値アリです。

ただ、この島、トイレがないんですよ・・・。
寒さもあって、途中トイレに行きたくなりました(が、もちろん我慢しました)。

ちなみに、whitehavenは「Whiteheaven」ではありませんでした。

4日目は天気が悪く、雨に濡れて島を去ることに・・・。
流行中に雨が降ることってあまりないのですが・・・。

長々と失礼しました。

ハミルトン島の感想。

小さい島ながら、
Great Barrier Reefをはじめ、
海のアトラクション、
また、陸地ではゴルフやスポーツクラブなど、
いろいろ楽しめますし、
逆に何もせずにボーっとするにもいい場所だと思います。

ハミルトン島は私有地なので、
レストランやホテルなど、ひとつの会社が仕切っているため、
部屋のカードキーで清算できる(できないところもある)のも便利です。
日本人観光客はカップルで来ることが多いため、
あまりこの特典について知られていないようですが、
キッズミール半額とか、
ツアーによってはキッズアメニティがあったりと、
お子さん連れにも優しい島です。
ただ、値段はやはり高めでしょうか。

でも、いつかまた行ってみたいところです。

写真は上から、
Great Barrier Reefのお魚さんたち
Whitehaven Beach(天気がいいともっと白いらしい!)
Hamilton Islandのサンセットスポットにて


昨日の続きです。

メルボルン・カップは、
スプリング・レーシング・カーニバルと呼ばれるVIC州のG1レース・シリーズの1つ。

賞金総額が550万ドル、
優勝賞金が330万ドルと、
アジア太平洋地区では最高賞金額、世界でもトップ・クラスの賞金額だそうです。

そんなわけで、
我が家もメルボルンまで足を運び、ついでに賭けて来ました。

オーストラリアの競馬の賭け方は下記のとおり。


●Win(単勝)…1着の馬を当てる。
●Place(複勝)…3着までに入る馬を当てる。
 単勝、複勝とも日本ではあまり人気はないが、オーストラリアでは馬券購入のベースとして高い人気があり、メルボルン・カップでも6割がWinとPlace。確実に配当を狙うならば、単勝、複勝がお薦めだ。
●Quinellas(馬連複)…1着、2着を順不同で当てる。高い配当と同時に、当たる確率も高い。日本人に好まれる馬券。
●Trifectas(3連単)…1着、2着、3着を着順通りに当てる

私たちは、オフィシャルブックと新聞でさっと研究した上で投資。
あまり期待はしていませんでしたが、
以前グアムのドッグレースで掛け金の倍くらいになって返ってきたので、
もしかしたらと、密かな希望もあり…。

当日は、メルボルンカップのほかにもレースがいくつかあったのですが、
みんな飲むか写真を撮るかで暇ヒマ。
レースの頃には上品に(?)出来上がり、
レースに望めるように調整します。

時刻は2時50分。
レース10分前。
混んでいたお手洗いや出店の前からすっと人が引いていき、
競馬場のみならず、
オーストラリア国内が一斉にレースに注目!!
あの一体感は、
私もオージーの一員になれた~!!
みたいな勘違い的感覚に陥り、なんとも快感でした。

レース中、「shocking, shockin!」と周りの人や解説者が叫ぶので、
そんなに衝撃的な結果になりそうなんだ…と勝手に思っていましたが、
ホテルに着いた後で、
優勝した馬がSHOCKINGという名前だと知りました。

馬の名前はどうやって決めるんだろうか。
Crime Sceneという、ショッキングな名前もありました。

ちなみに、私たちが賭けたお馬さんは入賞せず。
それこそ、ショッキングな結果。。。

そうそう、
周りの人を見てて発見したことがあります。
きっと、競馬に対する考え方の違いなのか、
オージーたちは、1ドルとか5ドルとか、小額を賭けるんですよ。
もしかしたら、オーストラリアの競馬がハンディキャップ制をとっているため、
当てにくいというのもあるのかもしれません。

2012年5月11日金曜日

京都市立西ノ京中学校


憲法月間 1・2年人権学習

 5月は憲法月間です。5月7日(月)5・6限に,1・2年生の人権学習を行いました。
 1年は「身近な人権と他者への理解を深める」ことをテーマに,イソップの寓話を基にして,クラスや学校生活で一人ひとりが大切にされるために守るべきことを考え,班ごとに発表し合いました。
 2年は「身の回りにある差別の不当性・不合理性」について,社会に存在するさまざまな差別に気づき,ビデオ「青い目・茶色い目」を鑑賞して自由と平等について考えました。

【学校の様子】 2012-05-07 17:59 up!

憲法月間 3年人権・平和学習

 5月は憲法月間です。5月7日(月)5・6限に,3年生は修学旅行で訪れる沖縄で起こった沖縄戦を知り,命と平和の尊さについて考える学習を「島歌」の歌詞を教材にして行いました。また,教室前の廊下には,沖縄事前学習のまとめが掲示されています。
沖縄への出発日は,土曜日です。

【学校の様子】 2012-05-07 17:42 up!

女子バスケットボール部 春季体育大会

2012年5月9日水曜日

ジェーン・オースティン - Wikipedia


ジェーン・オースティン(英:Jane Austen、1775年12月16日 - 1817年7月18日)は、イギリスの小説家。イングランド南部ハンプシャー・スティーブントン生れ。Austen を「オーステン」とカナ転写する書籍もあるが、原語により近い発音は「オースティン」。

18世紀から19世紀イングランドにおける田舎の中流社会を舞台として、女性の私生活を結婚を中心として皮肉と愛情を込めて描き、その作品は近代イギリス長編小説の頂点とみなされている。また英語における自由間接話法(描出話法、free indirect speech)の発達に大きく貢献したことでも知られる。主要作品は、『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー僧院』『説得』の6作品。

[編集] スティーブントン時代

1775年12月16日に、ハンプシャーのスティーブントンの牧師館で生れた。牧師である父のジョージ・オースティン(1731 - 1805)は9歳で孤児となったが、伯父フランシス・オースティンに助けられ、オックスフォード大学に入った。妻カサンドラ(1739 - 1827)との間にはジェーンの他に6人の兄弟と、姉がおり、長兄のジェームズは父と同じくオックスフォードに入り詩などを発表していて、ジェーンに影響を与えた。次兄のジョージについてはあまり伝えられておらず(言語に障害があったらしい)、三兄エドワードは、裕福な家の養子に入り、四兄ヘンリーもオックスフォードに入っている。五兄のフランシスと弟のチャールズは、共に海軍に進み提督にまで昇進した。姉のカサンドラとは生涯を通して非常に親密な関係で、現存する手紙のほとんどはカサンドラに宛てられている。ジェーンを描いたものとして認められている肖像画は、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに収められたカサンドラの手による彩色スケッチのみである。しかしながら等身大の彩色画がジェー� ��の一族によって所蔵されており、これは10代の頃のジェーンを描いた本物ではないかと考えられている。

1783年にカサンドラととも知り合いのもとへ預けられ、短期間ではあるがオックスフォードおよびサウスハンプトンで教育を受けている。1785年から翌年にかけてはバークシャーのレディングにあるレディング修道院女子寄宿学校で学んだ。当時一般の少女よりも充実した教育を受け、この間に多くの文学作品に触れ、英訳されたゲーテの『若きウェルテルの悩み』も読んだという。1789年には早くも小説の原型を書き始めるようになったが、友人や家族に読み聞かせて喜ぶためであった。ただし、小説は3冊のノートにまとめられたが、この中の2冊目にある「愛と友情」など、すでに特色のあるものも書かれている。

2012年5月8日火曜日

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2012年5月6日日曜日

ブログ拾い読み


日本一新の会・代表 平野 貞夫

○ 小沢問題・消費税増税・原発問題などの背後にあるもの

 3月23日(金)に池袋豊島公会堂で開かれた『小沢政治裁判を終わらせよ!』と題するシンポジウムに出席した。冷たい雨の降る金曜日にもかかわらず、約400人もの市民が参加してくれた。

 植草一秀氏(評論家)の基調報告、石川知裕衆議院議員、森ゆうこ参議院議員、二見伸明元衆議院議員、三井環氏(市民連帯の会代表・元検事)の発言に続いて、私が「判決を前にして、われわれはどう行動するか」とのテーマで発言した。

 冒頭で、3月19日(月)の最終弁論で、小沢氏が精魂込めて発言した「私への捜査は、民主党への政権交代を阻止し、挫折させるために検察が政治に介入したもので、議会民主政治において許されるべきことではない」を紹介した。そして、3年間にわたった「小沢陸山会問題」は、検察の捜査や司法の劣化などと関連しながら、政治の背後にあるものや、その深層部を検証しなければならないと主張した。

 それは、消費税増税の強行や原発放射能問題などの背景にある「マネーゲーム・ファシズム」の存在である。

(消費税増税問題―国民の生命を削る!)

 豊島公会堂の帰りに、国民の声出版委員会から『国民の声 消費税増税問題について私もひとこと』という冊子をいただいた。帰宅してページをめくると、『貧困者の命を削る消費税増税』という、神奈川県に住む花上直之さん(78歳)の声が私の心を刺した。要点を紹介しよう。

2012年5月5日土曜日

アフリカを教室に:少年兵士 ウガンダ



当時17歳だったマイケル=オコット(仮名)は、全身に15の銃弾を受けたまま3週間ジャングルに放置されたが、奇跡的にその命はとりとめた。しかし、左頬から入り右眉付近に抜けた弾丸により、その両目の光は永遠に奪われ、さらに腰を貫いた銃弾は左足の自由を奪った。

「ゲリラとして戦っていたときのことは、もう考えたくないんだよ。今は一生懸命勉強して盲学校の先生になって、僕と同じように盲目で苦しんでいる人たちを助けたいんだ」

彼がLord's Resistance Army(神の抵抗軍・以下LRA)に誘拐されたのは1992年のことだった。当時7歳だった彼は、他の友人たちと一緒に学校の授業中、突然自動小銃を手に現れたLRAの兵士に拉致され、その後全身に銃弾を浴び放置されるまでの10年間、スーダン・ウガンダ国境を行き来しながらブッシュで寝起きし、銃を手にウガンダ政府軍と戦ってきた。

「UPDF(ウガンダ政府軍)をナイル川のほとりで待ち伏せする作戦だった。戦闘自体はLRAの勝利だったけど、僕は運悪く撃たれてしまったんだ。あまりの痛みに気絶してしまったみたいで、気がついた時には誰もいなかった。みんなその傷を見て助からないと思ったんだろうね」

UPDFの斥候が偶然彼を発見するまでの3週間、マイケルは幸い近くにナイル川があったため水を得ることができ、木の根や草を食べて生き延びた。

モーセの十戒による国家再建を謳うLRAがウガンダ北部の町や村で、略奪と子供の誘拐を始めたのは1980年半ばのことだった。

1894年にイギリスの保護領となり1962年に独立したウガンダは、かのチャーチルが「アフリカの真珠」と感嘆したほど緑が多く、非常に美しい国だった。しかし多民族国家である同国は、1966年、当時首相だったオボテがクーデターで政権を奪って以来、現在までのわずか41年間で5度も軍事力による政権移行が起こっている。

なかでも数十万人を虐殺し「食人大統領アミン」として映画にもなったアミン大統領は有名だ。1971年、軍事クーデターを起こしオボテから政権を奪取した。そしてその後インド人を中心とするアジア人を数万人国外追放にし、外国資本企業を突如国営化し、政敵・反乱分子を次々と暗殺・殺害するなど悪名高い恐怖政治を行い、さらに1976年に起きたエールフランス機ハイジャック事件で、ウガンダのエンテベ空港に着陸し、イスラエル人だけを機内に残し立てこもるハイジャック犯をウガンダ政府軍に警護させ国際社会を唖然とさせた。(イスラム教徒だったアミンは、その後サウジアラビアに亡命したが昨年死亡した)

2012年5月3日木曜日

ナポリ警察、マフィアを一斉取り締まり 64人逮捕 写真13枚 国際ニュース : AFPBB News


【5月27日 AFP】イタリア・ナポリ(Naples)警察は27日、女性10人を含む、マフィアのメンバーとみられる計64人を逮捕した。ナポリ警察は、マフィアの一斉取り締まりを実施しており、この一週間で130人以上を逮捕している。

2012年5月1日火曜日

ラスベガスカフェ-Blog: ギャンブル


中国・マカオ(澳門)は2008年で中国への返還から10年目を迎える。

マカオ観光の目玉の一つ、カジノは2006年に米国ラスベガスを抜いて世界一の規模になったとされる。2005年に世界遺産(文化遺産)として登録された歴史的建築群も大人の観光客を呼び込んでいる。

 かつてカジノのにぎわいは「東洋のモンテ・カルロ」と評された。しかし、今では規模で言えば、モナコよりもマカオの方が上。それどころか、本場ラスベガスまで抜き去って、とうとう世界一になった。

 マカオ特別行政区政府は2006年のカジノ関連収入を549億9800万パタカ(約70億5000万ドル、パタカはマカオの通貨)と、過去最高になったと発表した。前年に比べて20%を超える伸びで、マカオのカジノ市場の急成長ぶりを裏付ける。ラスベガスの2006年の収入は65億ドル程度と見込まれていて、予想通りであれば、ラスベガスは「世界一のカジノ都市」の座をマカオに明け渡したようだ。

 マカオは面積約28平方キロと、東京都世田谷区の約半分ぐらいの広さ。このマカオに政府公認のカジノが約20軒もある。中国で賭博が公式に認められているのはマカオだけだ。